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山口地方裁判所 昭和63年(ワ)221号 判決

原告

上迫幸年

原告

上迫節子

右両名訴訟代理人弁護士

松崎孝一

被告

右代表者法務大臣

後藤田正晴

右指定代理人

稻葉一人

外六名

被告

林隆士

右訴訟代理人弁護士

末永汎本

吉元徹也

主文

一  被告林隆士は、原告らに対し、各金二七五万円及びこれに対する昭和六二年一一月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告林隆士に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告らと被告林隆士との間においては、原告らに生じた費用の四分の一を被告林隆士の負担とし、その余は各自の負担とし、原告らと被告国との間においては、全部原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告らに対し、連帯して、各金一一〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一一月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、亡大村優子(以下「優子」という。)が、昭和六二年九月三日、被告林隆士(以下「被告林」という。)の開業している錦町産婦人科医院において出産したところ、その後の出血が止まらず、さらに被告国の設置する山口大学医学部附属病院(以下「山大附属病院」という。)に転送されて治療を受けたが、同年一一月八日、死亡したことについて、優子の両親である原告らが、被告林については不法行為に基づく損害賠償責任(民法七〇九条)が、被告国については使用者責任に基づく損害賠償責任(民法七一五条一項)がそれぞれあるとして、慰謝料を請求している事案である。

一争いのない事実等

1  当事者(争いがない。)

(一) 原告上迫幸年(以下「原告幸年」という。)は優子(昭和三八年一〇月二四日生まれ)の父であり、原告上迫節子(以下「原告節子」という。)は優子の母である。

(二) 被告国は、山大附属病院を設置し、藤井之正医師(以下「藤井医師」という。)及び宮内文久医師(以下「宮内医師」という。)らを雇用して、患者の治療に従事させているものである。

被告林は、山口県宇部市内において、錦町産婦人科医院を開業し、医師として患者の治療に従事しているものである。

2  本件の事実経過の概要〈書証番号略〉、証人藤井、同宮内、被告林、鑑定人神保の鑑定、弁論の全趣旨)

(一) 錦町産婦人科医院における事実経過

(1) 優子は、昭和六二年九月三日、以前から通院していた錦町産婦人科医院に出産のため入院した。被告林は、優子の分娩につき、プロスタルモン及びシントシノンの二種類の陣痛促進剤を同時併用したところ、優子は、同日午前七時〇八分ころ、女児を出産した。

(2) しかしながら、分娩の後、膣口から出血が始まったので、被告林は、出血に対する処置を行ったが、同日夜まで出血が継続したため、山大附属病院のICUに応援を依頼した。

被告林の依頼により、山大附属病院の藤井医師は、錦町産婦人科医院に赴き、主に優子の全身状態の把握に努めた後、出血の増加あるいはショック状態に陥った場合には、山大附属病院に連絡するように告げて帰宅した。

被告林は、新鮮血の輸血等をしながら経過観察をしたが、なお出血が継続したため、翌四日午前二時四五分ころ、山大附属病院に転送することとし、優子は、救急車で山大附属病院に搬送された。

(二) 山大附属病院における事実経過

(1) 優子は、山大附属病院に搬送された後、集中治療室に収容され、同病院の森岡医師及び山本医師の診察を受け、同医師らは、優子に輸血を実施した上、経過観察を続けた。

(2) 山大附属病院の宮内医師は、同月四日午前、優子について不全子宮破裂の疑いがある旨診断し、子宮摘出手術を実施した(以下「第一回手術」という。)が、子宮には破裂創を確認することはできなかった。そこで、同医師は、さらに出血源を探索し、膣壁の血液浸潤部位等につきZ字縫合を行った。

(3) 第一回手術の後においても、優子には膣口からの出血が認められ、山大附属病院の藤野医師は、同日夕方、優子に膣壁裂傷を発見し、その縫合手術を行った(以下「第二回手術」という。)。

(4) 第二回手術の後においても、優子の状態が改善されなかったため、宮内医師、翌五日、血管造影検査を行い、その結果、右内腸骨動脈の分枝からの出血を発見し、右部位につき縫合を実施し、後腹膜腔にTチューブドレーンを置いて手術を終了した(以下「第三回手術」という。)

(5) 優子は、引き続き山大附属病院において治療を受けたが、その後、敗血症を発症し、同年一一月八日、急性腎不全のため死亡した。

二原告らの主張

1  優子の死亡の原因

優子は、昭和六二年九月三日、錦町産婦人科医院において出産した際に膣動脈を損傷し、その結果、大量出血による抵抗力の低下から敗血症を発症し、死亡したものである。

2  被告林の責任

(一) 陣痛促進剤の不適切な投与

優子が、錦町産婦人科医院に入院した昭和六二年九月三日午前六時三〇分ころ、陣痛及び分娩経過は極めて正常であり、二、三時間後には自然分娩する状態であった。

しかるに、被告林は、早く出産させようと考えて、同日午前六時四三分ころ、優子に対し、陣痛促進剤である、プロスタグランジン(プロスタルモン。一ミリグラム二アンプル)及びオキシトシン(シントシノン。五単位一アンプル)を同時に投与したため、過強陣痛を招来し、これによって優子の膣動脈末端部の損傷を発生させ、その結果、大量出血による抵抗力の低下から敗血症の発症及び優子の死亡を招いたものである。

したがって、被告林には、陣痛促進剤の投与が不適切であった過失がある。

(二) 漫然と弛緩出血と判断して出血原因の精査を怠ったこと

優子の出血部位である膣壁裂傷の発見は、産道損傷を強く疑って精査すれば、発見は可能であった。そして、陣痛促進剤を使用して過強陣痛を起こし、急速分娩となった場合には、弛緩出血は起こり難いのに対し、産道損傷は起こり易いのであるから、出産経過を熟知し、また頚管付近からの出血をも疑っていた被告林としては、これを予測し、産道を精査すべきであった。

しかるに、被告林は、漫然と弛緩出血と判断し、右精査を怠り、五八三〇ミリリットルもの大量出血を招いたものであり、大量出血による抵抗力低下から敗血症の発症を招いたことに寄与したものであるから、責任を免れない。

(三) 説明義務違反

被告林は、陣痛促進剤の投与により、過強陣痛を招き急速分娩を生じさせている。この場合には、弛緩出血は起こり難く、産道損傷が生じ易いのであるから、被告林は、山大附属病院に転送した際、出血原因と重要な関係を有する異常な分娩経過について、山大附属病院の医師に説明する義務があったのに、これを怠り、正常分娩と説明し、出血原因につき誤った診断結果である弛緩出血と説明した。

これによって、山大附属病院の医師は、陣痛促進剤の使用による異常分娩の事実を知らないまま、産道を精査することなく、経過観察としてしまったため、第一回の手術時までに、さらに三五三五ミリリットルの出血を招き、その結果、それまでの出血と相まって優子の抵抗力が低下して敗血症を発症することとなったのであるから、被告林は、この点においても責任を負う。

3  被告国の責任(使用者責任)

(一) 初診時の医師による出血原因の確認が不十分であったこと

山大附属病院の森岡医師は、初診時に弛緩出血がないことを確認している。この時点で、同医師は、被告林の弛緩出血との診断が誤っている可能性を考えて、大量出血の原因につき慎重な究明を行っていれば、血管造影検査が実施され、優子の膣動脈損傷が発見されたはずであるのに、これを怠り、漫然と弛緩出血が峠を越えたと判断したことにより、優子の出血は継続し、最終的には死亡にまで至ったものである。

(二) 第一回手術の際、出血部位の確認が不十分なため出血の出口である膣壁裂傷部位をZ字縫合したこと

宮内医師は、第一回手術の際、子宮破裂がないこと及び後腹膜に大量の血腫が存在することを確認していたのであるから、血腫形成部位に血管損傷を生じている可能性を疑い、血腫造影検査により損傷部位を確認すべきであったのに、これを怠り、膣壁裂傷部位をZ字縫合したにすぎなかったため、抜本的な止血効果をあげることができなかった。

(三) 第二回手術の際、出血部位の確認が不十分であったため出血の出口である膣壁裂傷部位を縫合したこと

藤野医師は、四日午前六時三〇分ころ、新たな膣壁裂傷を発見した時、第一回手術で裂傷部位を縫合しているにもかかわらず出血が継続して新たな膣壁裂傷が生じたものと考えて、この時点で血管造影検査をし、出血部位を十分に確認すべきであったのに、これを怠り、漫然と膣壁裂傷部位を縫合する手術を行ったにとどまったため、第三回手術までの間出血を継続させ、優子の死亡の結果を招いたものである。

(四) Tチューブドレーンの使用

第三回手術の際、優子の後腹膜には血腫があり、二度にわたる手術操作による感染の危険も極めて高く、それまでの大量出血による抵抗力の低下に伴い、後腹膜に感染を生じた場合には、ドレーンにより膿を効果的に排出しない限り、敗血症の発症を招く危険が極めて高かったのに、宮内医師らは、圧迫や屈曲に弱く、また狭所部位からの排出も困難なTチューブをドレーンとして使用したため、効果的に排膿することができず、大量出血による抵抗力の低下と相まって敗血症の発症を招いたものである。

三被告林の主張

1  優子の出血原因について

(一) 錦町産婦人科医院における優子の出血の原因は、弛緩出血であって、出産の際に発生した膣動脈損傷ではない。

(二) 第三回手術の前の血管造影検査によって発見された出血は、膣動脈損傷によるものではなく、山大附属病院での第一回手術における手術操作の加わった子宮動脈領域からの出血であり、この第一回手術時に切断した子宮動脈の集束結紮の滑脱や集束結紮の失敗(集束漏れ)によるものである。

2  陣痛促進剤の使用について

(一) 陣痛促進剤投与の適応について

陣痛促進剤を投与する直前の優子の状態は、頚管に浮腫があり、硬く、陣痛もほとんど停止しており微弱陣痛であったのであるから、陣痛促進剤を投与したことは適切であった。

(二) 陣痛促進剤の同時併用について

いわゆる関西系の大学では、プロスタルモン及びシントシノンの二種類の陣痛促進剤を同時併用することを是としており、過失はない。

(三) 動脈損傷の予見可能性について

陣痛促進剤の使用によって、動脈損傷が発生することは通常予期できないものであるから、この点からしても、被告林の責任を問うことはできない。

3  弛緩出血と判断して精査を怠った旨の主張について

被告林は、可能な限りの止血措置を講じており、膣壁裂傷も存在していなかったことを確認しており、輸血の量や方法にも非違は存しないから、過失はない。

4  説明義務違反の主張は争う。

四被告国の主張

1  優子の出血原因

優子の大量出血の主たる原因は、山大附属病院における第一回手術以前から生じていた膣動脈損傷である。

2  初診時に出血原因の確認をせず経過観察したことに過失はないことについて

優子が山大附属病院に搬送された時の状態は、意識は明瞭であり、収縮期血圧は一〇〇mmHg(以下、単位は同一につき省略)であって低血圧状態ではなく、腹部膨満もなかった。優子の膣内に挿入されたガーゼに血液の付着を認めるものの、子宮からの出血は認めず、子宮底は臍高、子宮の収縮は良好で特に圧痛を認めず、超音波検査によって子宮内に異常な陰影を認めることもなく、会陰及び膣壁に縫合創を認めるものの明瞭な血腫形成はなく、肛門周囲に血液の浸潤はなかった。そして、優子の循環状態は安定しており、DICと感染症の発症の予防処置を行いつつ経過観察したのであるから、何らの過失もない。

3  第一回手術、第二回手術時に血管造影検査を実施しなかったことに過失はないことについて

血管造影検査は、本来腫瘍の占拠部位の確認又は腫瘍の正確な判定に資する目的で行われるものであって、一般に出血部位を確認するために実施されることは少ない。そして、昭和六二年当時、産後の出血源の検索のために血管造影検査を行うことが一般的な医療行為でなかったことは、鑑定人神保の鑑定の結果から明らかである。また、本件において、特に①造影剤によるショックを起こす危険があり、②レントゲン撮影のためにはレントゲン室に優子を移動させることが前提となるところ、当時の優子の状態からして、移動させることは危険を伴うと判断されたが、各種検査の結果、二回の手術後も内出血があるとの疑いが強く存在したため右のリスクも考慮した上であえて血管造影検査に踏み切ったものであり、第一回手術及び第二回手術時にそれを実施して出血部位を確認しなかったことに過失はない。

4  第三回手術時にTチューブを使用したことに過失はないことについて

ドレーンの選択は、その時点での術野のきれいさとか手術の完全さとかで判断するもので、医師の経験に裏付けられた裁量の範囲に属することである。

そして、優子の血液浸潤部位が、第一回手術及び第二回手術の時点で骨盤の両側に認められ、Tチューブによれば、膣断端部や膀胱の周囲からだけではなく、骨盤の両側からも血液や滲出液を除去することができるし、ドレーンチューブを一本留置するとドレーンとして有効に機能しないおそれもあるり、二本留置すると脆弱化した膣の右側にかかる負担が増大することが懸念されたことから、Tチューブを使用したのであるから、本件における医師らの処置は適切な選択であって、裁量を逸脱したものではない。

5  その他の過失の主張については争う。

五争点

1  優子の出血原因は、錦町産婦人科医院において出産した時に生じた膣動脈損傷か。それとも、錦町産婦人科医院における優子の出血は弛緩出血であり、山大附属病院における血管造影検査によって発見された出血箇所は山大附属病院における第一回手術時に操作の加わった子宮動脈の集束結紮の滑脱や集束結紮の失敗(集束漏れ)によるものか。

2  被告林の責任について

(一) 本件における被告林の陣痛促進剤の投与及び同剤の同時併用は不適切であって、過失が認められるか。

(二) 被告林が漫然と弛緩出血であるとして出血原因の精査を怠った事実があるのか。また、あるとしたら、過失が認められるか。

(三) 山大附属病院に対する説明義務違反が認められるか。

3  被告国の責任について

(一) 初診時に出血原因の確認をせずに経過観察したことが過失となるか。

(二) 第一回手術及び第二回手術において、出血原因を確認せずに膣壁裂傷の縫合をしただけの処置が過失となるか。

(三) 第三回手術においてTチューブをドレーンとして使用した処置が過失となるか。

4  損害額。

第三当裁判所の判断

一証拠(〈書証番号略〉、証人藤井、同宮内、原告節子、被告林(一部)、鑑定人神保の鑑定及び同人に対する鑑定人尋問の結果(以下、これらを併せて「神保鑑定」という。)、弁論の全趣旨)を総合すると、次の事実が認められる。

1  優子は、初産婦であったが、昭和六二年九月三日午前三時ころ、陣痛が始まり、しばらく様子を見ていたが、陣痛がだんだんと強くなってきたので、同日午前六時三〇分ころ、以前から通院していた錦町産婦人科医院に来院した。

この時の優子の状態は、ビショップスコア九点(子宮口六センチ、展退度八〇パーセント、児頭位置マイナス二センチ、頚部の硬さは軟らかく、子宮口位置中央)で子宮頚管は成熟しており、分娩が近いものだったので、被告林は、優子を入院させた。

2  被告林は、エラスタ針で優子の血管を確保し、優子の陣痛を観察していたが、同日午前六時四三分ころまでの間に二回程度しか陣痛がなかったため、優子に対し、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに、プロスタルモン一ミリグラムを二アンプル、シントシノン五単位一アンプルを加えて、一分間五滴の流量による点滴を行った。

ところが、優子のそれまでの陣痛が正常であって一時的に陣痛が弱くなったにすぎなかったため、陣痛促進剤であるプロスタルモン及びシントシノンの投与によって、過強陣痛が起こり、優子の子宮口は、同六時五五分ころに全開大(直径約一〇センチ)となり、同七時〇八分ころ、女児(二八七〇グラム、アブガースコア九点)を娩出するに至った。この時、今まで産道が形成されたことのない初産婦である優子の産道を、約二〇分の間に一気に児頭が通過したため、膣動脈(内腸骨動脈からの分枝)の損傷が発生し、同時に後側ないし外側の膣円蓋付近の膣壁裂傷が発生した。

この膣動脈の損傷部位は、骨盤に近い場所であったが、児頭が通過して拡大した直後のため骨盤壁まで延びていた膣壁には近い場所であった。しかし、その後、損傷部位からの出血によって形成された血腫が膣壁を前に押し出していったことから、膣動脈損傷部位と膣壁とが徐々に離れていく結果となった。また、膣壁裂傷は、子宮口後唇にさえぎられて、通常の膣鏡検索では最も見にくい部位であった上、極めて小さいものであった。

3  優子は、同日午前七時一一分ころ、胎盤を娩出し、分娩第三期(胎児娩出から胎盤娩出まで)の出血量は二〇〇ミリリットルであった。出産後の優子の膣・会陰裂傷は二か所であり、被告林は、会陰正中皮膚縫合三針、後膣壁正中粘膜縫合三、四針、後膣壁膣入口部より六センチ上方で一針Z縫合を実施したが、出産時に発生した膣動脈損傷及び膣壁裂傷については認識できなかったため、その部位についての縫合はなされなかった。また、優子の子宮収縮は良好であったが、出血しないように、子宮底のマッサージ及び子宮底のアイスノン冷あん法を行い、メテルギン(子宮収縮剤)一アンプルの注射を行った。

4  その後、優子の膣口から同日午前九時一五分に一七五ミリリットル、同九時二五分には二〇〇ミリリットル、同九時三五分には一七〇ミリリットルの出血(総合計七四五ミリリットル)があり、その出血の色が新鮮血のものではなかったので、被告林は、弛緩出血を疑い、子宮を収縮させるために、子宮マッサージ及び子宮冷あん法を行い、点滴の中に子宮収縮剤のシントシノン、止血剤であるトランサミン、アドナ、ケーツー、CRC(濃厚赤血球)、FFP(新鮮凍結血しょう)を入れる処置をした。さらに、子宮双手圧迫(子宮を両手でしっかりマッサージする処置)を施行し、子宮筋にプロスタルモンを注射するとともに、子宮内用手検索を行って、子宮内に胎盤等がないことや子宮破裂のないことを確認した。

ところが、優子の出血は止まらず、同一〇時一〇分には出血量累計が八四〇ミリリットルに達し、最高血圧も八九となり、このまま放置すればショック状態になる危険が生じた。そこで、被告林は、濃厚赤血球の輸血を開始したところ、同一〇時三二分には最高血圧が一〇二に回復し、出血も累計八九五ミリリットルで止まった。

ところが、同一一時からまた出血が始まり、同日午後〇時には累計一〇三五ミリリットルに達したので、被告林は、子宮筋に直接プロスタルモンを注射したり、子宮底マッサージ、子宮双手圧迫を行ったりしたが、同〇時四五分までに、一二五ミリリットル出血して(累計一一六〇ミリリットル)、一応止まった。この時の優子は、気分がよく、全身状態も悪くなかった。

5  ところが、同日午後六時四五分ころ、優子は、また約二〇〇ミリリットル出血し、血圧も八四―五六に低下した。この時、優子の意識は良好であったが、被告林は、酸素吸入を行い、ヘスパンダ(代用血しょう)、シントシノン(子宮収縮剤)、エホチール(強心昇圧剤)、ソルコーテフ(ショック状態の時に使用する副腎皮膚ホルモン)を投与し、さらに子宮底マッサージ及び子宮底冷あん法を実施した。

さらに、同六時五五分ころ、三一〇ミリリットル(累計一六七〇ミリリットル)の出血があったので、被告林は、CRC(濃厚赤血球)とFFP(新鮮凍結血しょう)を追加し、シントシノン、メテルギン(以上、子宮収縮剤)、トランサミン、アドナ、ケーツー(以上、止血剤)、メピラジン(抗生物質)を点滴で投与した。また、被告林は、子宮内用手検索も行ったが、前記のとおり、膣壁裂傷の部位が通常の膣鏡検索では最も見にくい場所であった上、裂傷が小さかったことから膣壁裂傷を発見できず、「頚管裂傷、膣裂傷  」とカルテに記載した。

同七時ころ、更に二一〇ミリリットル(累計一八八〇ミリリットル)の出血があったので、被告林は、CRC(濃厚赤血球)及びFFP(新鮮凍結血しょう)を輸血し、プロスタルモン(子宮収縮剤)を子宮筋へ直接注射した。子宮双手圧迫も行った。。

同七時二五分ころまでの間に、更に四二〇ミリリットル(累計二三〇〇ミリリットル)の出血があり、ブドウ糖とFOY(血液の中の血液凝固を防ぎ、DICの治療に使用する薬剤)を点滴により投与した。

同七時四五分ころまでの間に、更に二一〇ミリリットル(累計二五一〇ミリリットル)の出血があったが、優子の意識は良好であった。被告林は、CRC(濃厚赤血球)及びFFP(新鮮凍結血しょう)を追加輸血した。

6  同日午後八時ころ、更に三一〇ミリリットル(累計二八二〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、子宮底双手圧迫を行うとともに、ブドウ糖液とプロスタルモン(子宮収縮剤)を投与した。また、CRC(濃厚赤血球)とFFP(新鮮凍結血しょう)を輸血した。

そして、被告林は、このまま出血が続いてショック状態になった場合の処置について、専門の麻酔科の医師に来てもらうように山大附属病院のICUに電話で依頼した。

これに応じた山大附属病院麻酔科医師である藤井医師は、同八時三〇分ころ、錦町産婦人科医院に赴いた。この時点で、更に一六〇ミリリットル(累計二九八〇ミリリットル)の出血があり、CRC(濃厚赤血球)及びFFP(新鮮凍結血しょう)が輸血され、藤井医師は、優子に対し、ラクトリンゲル、シントシノン、トランサミン、アドナ、ケーツー、ソルコーテフ、カルチコール(血液凝固因子)を投与した。

同八時四五分ころ、更に五〇〇ミリリットル(累計三四八〇ミリリットル)の出血があり、同九時一〇分までの間に更に三八〇ミリリットル(累計三八六〇ミリリットル)の出血があった。この時、被告林及び藤井医師は、CRC(濃厚赤血球)とFFP(新鮮凍結血しょう)の輸血、ブドウ糖液、FOY(血液の中の血液凝固を防ぎ、DICの治療に使用する薬剤)、ミラクリットを優子に投与した。また、藤井医師は、優子の全身状態をより把握するために、大腿部からカテーテルを挿入して、中心静脈圧の測定を行ったところ、ほとんどゼロに近く、著しく優子の体の中の血液が少なくなっていることが判明し、輸血又は輸液を増量するように指示した。

同九時三五分ころ、更に三九〇ミリリットル(累計四二五〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、FFP(新鮮凍結血しょう)及び新鮮血を輸血し、ラクトリンゲル、シントシノン、止血剤(トラサミン、アドナ、ケーツー)、ケイペラゾン(抗生物質)を投与する処置をした。

同九時四五分ころまでに、更に五〇ミリリットル(累計四三〇〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、少しでも出血を止めようと考えて、頚管をカットグットで一周縫合した。Z縫合した部分についても確認したが、異常はなかった。また、子宮底マッサージ及び子宮底冷あん法を継続して行った。

同一〇時ころまでに、更に四五〇ミリリットル(累計四七五〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、新鮮血及びFFP(新鮮凍結血しょう)を輸血し、ブドウ糖液、プロスタルモン(子宮収縮剤)、ラクトリンゲル、カルチコール(血液凝固因子)、アンスロンビン(出血性ショックやDICに使用する薬剤)を投与した。

同一〇時二〇分ころには、更に二八〇ミリリットル(累計五〇三〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、新鮮血を輸血するとともに、優子の家族に対し、「子宮を摘出しなければ止血しないであろう。」旨説明した。

同一〇時三〇分ころ、更に一六〇ミリリットル(累計五一九〇ミリリットル)の出血があり、被告林は、新鮮血を輸血した。藤井医師は、被告林に対し、今後の処置についての指示を出すとともに、「今後出血がまた増えてくるとか、ショック状態に再度陥るようなことがあれば山大附属病院まで連絡してほしい。ICUの当直の医師には、このような患者がいて入室する可能性があると伝えておく。」旨告げて帰宅した。藤井医師は、帰宅してから、山大附属病院のICUの当直医に対し、錦町産婦人科医院の患者がICUに入室するかもしれない旨連絡した。

優子は、同一〇時四〇分までに、更に二一〇ミリリットル(累計五四〇〇ミリリットル)の出血があったが、意識は良好であった。被告林は、ラクトリンゲル及びアンスロンビンを処方した。優子の出血は、ここに至って、ようやくほぼ治まり、同一一時ころまでの間に二〇ミリリットル(累計五四二〇ミリリットル)、同一一時三五分ころまでの間に四〇ミリリットル(累計五四六〇ミリリットル)、翌四日午前〇時ころまでの間に二〇ミリリットル(累計五四八〇ミリリットル)の出血があっただけで、同〇時三〇分ころには出血が止まった状態になった。

7  ところが、同日午前二時四〇分ころ、被告林は、確認のために優子の子宮をマッサージしたところ、膣口から三五〇ミリリットル(累計五八三〇ミリリットル)の出血があったので、子宮内用手検索及び膣内用手検索を行ったが、頚管裂創や膣壁裂傷を発見できず、弛緩出血に間違いないものと判断し、子宮摘出を行う必要があると考えた。そして、優子の家族に対し、その旨を説明したが、同意を得られなかったことから、山大附属病院の医師に診察してもらった上で、その意見に従って処置してもらうことにして、被告林は、山大附属病院ICUに電話で連絡して、優子を引き受けてくれるよう依頼し、救急車で優子を転送した。

その際、被告林は、山大附属病院ICUと産婦人科宛に、優子が九月三日午前七時〇八分に女児を出産したこと、後出血は四三〇ミリリットル程度で止まっていたが、午後七時ころから性器出血が始まり、あらゆる処置にかかわらず止血しなかったこと、出血量は七〇〇〇ミリリットル(五八三〇ミリリットルの誤記)を超えていること、一時間位治まっていたが、また出血が始まったので転送したことを記載した紹介状(〈書証番号略〉)を提出するとともに、山大附属病院産婦人科の森岡医師に口頭で、今までの診療内容の概略について、優子の出血は弛緩出血であると考えられること、弛緩出血でなかったことを考え、念のために子宮の中を用手検索を行い、胎盤の遺残がないこと、子宮破裂のないことを確認したこと、頚管裂傷に対しては、子宮頚管を全周にわたって一回縫合し、膣会陰裂傷に対しても念のため縫合したこと、全身状態については、山大附属病院の藤井医師の応援を求めて、血圧、脈等の測定を十分行い、新鮮血の輸血も行ったこと、子宮摘出手術の必要なことを優子の家族に説明したが同意が得られないこと等について説明した。

8  優子は、同日午前三時〇五分ころ、山大附属病院のICUに入室し、右森岡医師及び山本医師の診察を受けた。この時の優子の状態の所見は、子宮の収縮は良好で、子宮底の高さはおおむね臍の高さであり、腹部膨満もなく、下腹部に圧痛(子宮破裂の所見)もなく、膣内に凝血塊を認めるも新鮮な出血はなく、超音波検査でも子宮膣内に胎盤の遺残や凝血塊は認められなかった。そして、同医師らは、優子に付き添って来た被告林から弛緩出血である旨告げられていたため、優子に対し、新鮮血を輸血し、酸素、子宮収縮剤(プロスタグラジンF2α、メテルギンS)、DICの予防薬(FOY、アンスロビン、ミラクリット)、抗生物質(セファメジン、クラフォラン)及びガンマグロブリンを投与し、膣内にガーゼを二枚挿入して経過観察を行った。

しかるに、この挿入されたガーゼ二枚によって出血の出口が塞がれたため、膣動脈損傷及び膣壁裂傷部位からの出血から傍膣壁血腫が形成され、圧力が上昇し、二次的に膣壁裂傷が拡大して静脈性出血が増加するとともに、消費性凝固障害が伴って、後になって出血量が増加する結果を招いた。

9  優子は、同日午前六時ころ、約二一〇グラムの出血があり、子宮底は臍上二横指に上昇した。さらに、同七時の血圧は一三二―八〇であったのに、同八時三〇分ころ、血圧が六〇―三〇と急激に低下してショック状態に陥ったため、輸血及び輸液を急速に開始し、昇圧剤(ドバミン)の投与及び新鮮血の輸血が続行されて、同九時には血圧が一二〇―五八に回復したが、中心静脈圧がマイナス一センチメートルで循環血液量が少ない状態であり、四肢に冷感があった。

そして、ICUから産婦人科の医師が必要である旨の連絡を受けたが、当直医であった森岡医師は、同日午前九時ころから手術の予定が入っていたことから、当日手の空いていた同病院産婦人科の宮内医師が、優子の診察を引き継ぎ、同九時ころ、ICUに赴いて優子を診察した。この時の所見は、子宮底が臍と剣状突起(胸骨の一番足元の部分)の中間の高さにあり、子宮は非常に固く、下腹部に圧痛があり、膣の中及び紙おむつに凝血塊があり、その上にサラサラの新鮮血が流れている状態であった。これによって、宮内医師は、優子には不全子宮破裂が起こっていて、子宮の収縮が阻害されて見た目には弛緩出血の形をとっていたが、この段階に至って血液が後腹膜に浸潤したため、圧痛も出てきて、子宮底も高くなったものと診断した。そして、宮内医師は、当時の産婦人科教授の鳥越医師に報告して、子宮摘出手術の許可を受けた。一方、森岡医師は、同九時ころからの手術を終え、同九時四五分ころ、ICUにいる優子を再度診察したところ、紙おむつ更新時に七〇〇グラムの出血があり、子宮底が臍上四横指であり、子宮収縮は良好であるが、膣口から凝血を多量に排出した後にサラサラの血液の流出が多量にあり、これが一二五〇グラム(累計一九五〇グラム)に達する状態であった。そこへ子宮摘出手術の許可を受けてきた宮内医師が戻ってきて、両名とも子宮摘出手術の実施もやむを得ないとの意見で一致した。

そして、宮内医師は、優子の家族に子宮摘出手術を実施する旨説明し、優子の夫名義の承諾書の提出を受け、同一一時一七分、第一回手術を開始した。開腹したところ、骨盤漏斗靱帯から岬角にかけての後腹膜下に血液浸潤が認められ、血液浸潤は膀胱の両側、子宮傍組織の両側、膣後壁にも認められた。子宮は新生児頭大で固く収縮しており、右から上膣壁にかけての膣血腫は膣腔からも認められた。同医師は、後腹膜に血液の浸潤が認められたことから、不全子宮破裂であるとの診断に間違いないものと考え、子宮を摘出した。ところが、摘出した子宮を開いてみたところ、破裂創を確認することができず不全子宮破裂ではないことが明らかになった。そこで、同医師は、その他の出血原因を確認するため、優子の腹部及び膣の中を精査したところ、膣の右横にクルミ大の血液浸潤と膣壁裂傷を発見した。そこで、同医師は、ここが出血源であると考え、腹側から血液浸潤が認められた部位に対してZ字縫合を二回行い、膣のほうから血液浸潤部位及び膣壁裂傷に対してZ字縫合を四回行い、出血がないことを確認した後、膣の中にガーゼを八枚詰め、Tチューブドレーンを留置して、第一回手術を終了した。

10  ところが、この第一回手術のZ字縫合が膣動脈損傷部位にかかっていなかったことから、優子の膣動脈からの出血は持続した。そして、前記の縫合により出口が塞がれたことから、新たな膣壁裂傷を生じさせて、Tチューブ及び膣口からの出血が持続し、同日午後五時三〇分までに一〇五五グラムに達したため、藤野医師は、同六時三〇分、出血源の究明と必要な処置を行う目的で優子を手術室へ移した。そして、精査の結果、新たな膣壁裂傷部位からの出血が認められたため、再縫合を実施し、再びガーゼ二枚を挿入して、第二回手術が終了した。しかしながら、膣動脈の損傷部位が膣壁からかなり深い位置だったため、この縫合によっても損傷部位にかからず、抜本的な止血効果を得られなかった。

11  第二回手術終了後、優子の出血は、同日午後八時から同一〇時までに一五〇グラム、同一一時までに一一五グラム、翌五日午前〇時までに一〇〇グラム、同一時までに五〇グラム、同三時までに三〇グラム、同六時までに六〇グラム(合計五〇五グラム)と逓減していったが、同〇時から同八時までの一六一五グラムの新鮮血の輸血によっても、同八時二五分における血小板数が七万二五〇〇/立法ミリメートルと低く、また、同八時から八時二五分にかけて血色素量が9.8グラム/デシリットルから8.4グラム/デシリットルに減少した。このため、宮内医師は、原因を究明する目的で、同一〇時ころ、超音波検査を実施したが、出血部位を確認することができなかった。そこで、同医師は、血管造影検査を行ったところ、右内腸骨動脈の分枝(膣動脈の末端)からの出血を認めた。

12  そこで、宮内医師らは、同日午後二時ころ、開腹手術をしたところ、膀胱の後ろと右側骨盤壁に大量の血液と凝血塊が認められ、膣前壁及び側壁に新たな断裂傷が認められた。右側の膀胱側腔を開き、右側の傍膣組織を調べたこところ、出血部位を確認したので、一か所縫合と、いくつかの電気凝固法による止血処置を行った。その後、膣壁裂傷部位を縫合し、膣断端を閉鎖した後、Tチューブを設置して第三回手術を終了した。

13  優子は、引き続き山大附属病院において治療を受けたが、再三にわたる血腫形成とその部位に対する処置により細菌感染を起こし、大量出血による抵抗力の減弱と相まって、敗血症を発症し、同年一一月八日、急性腎不全のため死亡した。

14  分娩に際して膣動脈を損傷することは稀なことであり、それが生じたとしても発見することが困難とされている。そして、膣動脈損傷による大量出血があったとしても、通常の場合は出血源と思われる部位をZ字縫合し、膣の中にガーゼを何枚か入れてその圧迫によって止血することができる場合が多かった。もっとも、平成元年一一月に発行された文献(〈書証番号略〉)には、止血困難な産褥出血に対し、経カテーテル的な損傷動脈塞栓術が紹介されている。また、優子の膣動脈損傷発見に当たり実施された血管造影検査は、昭和六二年当時、産婦人科領域においては、腫瘍の存在場所やその性質を決定することに用いられることが一般的であって、分娩後の出血源確認のために用いられることは一般的でなかった。

二陣痛開始時刻について

被告林は、陣痛開始時刻について昭和六二年九月三日午前五時ころである旨主張している。

しかしながら、錦町産婦人科医院における分娩記録(〈書証番号略〉)の陣痛開始時刻の記載は、当初「3」と記載されている上から「5」に訂正されていること、もし同五時ころから陣痛が開始したとすると、前記認定のとおり同日午前六時三〇分ころまでのわずか一時間三〇分の間に子宮口が六センチに開大したことになるが、通常、優子のような初産婦の場合には、分娩開始から子宮口全開大までの分娩第一期に要する時間が一〇ないし一二時間である(〈書証番号略〉)ことに徴すると、右のような経過をたどることは考えられないこと、優子は、同日午前〇時ころにお腹が痛いと言い出し、その後同三時ころからお腹が痛い、痛いと強く訴えるようになり、様子を見ていた原告節子は、同四時ころ、錦町産婦人科医院へ電話をし、右のような優子の様子を看護婦に伝えたところ、看護婦から同九時ころに連れて来るように言われたが、その後優子の痛いという訴えが強くなったので、同五時ころ、再び右医院へ電話をして入院したこと(原告節子)を総合考慮すれば、優子の陣痛開始時刻は、昭和六二年九月三日午前三時ころであると認めるのが相当である。

三優子の出血原因について

1  被告林の主張

被告林は、錦町産婦人科医院における優子の出血は弛緩出血であって、膣動脈の損傷ではない旨主張している。

さらに、優子の大量出血の原因ついても、膣動脈損傷によるものではなく、山大附属病院における第一回手術において、宮内医師が切断した子宮動脈の集束結紮の滑脱あるいは集束結紮の失敗(集束漏れ)による可能性が高い旨主張し、これに沿う証拠として、①集中治療部診療録(1)(〈書証番号略〉)No.13の「子宮動脈領域の出血認められ」との記載 ②同(〈書証番号略〉)No.14の「場所が手術操作の加わった子宮動脈領域であり」との記載を指摘している。

2  弛緩出血があったか否かについて

(一) 弛緩出血とは、分娩第三期(胎児娩出後から後産、すなわち胎盤・卵膜の排出が完了するまでの期間)又は胎児娩出直後に、子宮筋の収縮不全、すなわち子宮弛緩症に起因して起こる異常出血をいい、子宮筋の収縮及び退縮不良により、胎盤剥離部での生理学的結紮と呼ばれる止血機序が障害されて起こるものである(〈書証番号略〉、神保鑑定)。

(二) 被告林は、優子の出血の原因は弛緩出血のみであった根拠として、①出血の状況が波状的であること②出血が暗血色で子宮マッサージにより出血したこと ③大量出血のその他の原因となる子宮頚管裂傷や産道裂傷が認められなかったことを指摘している(〈書証番号略〉)。

しかしながら、①については、前記認定事実及び神保鑑定によると、弛緩出血のときの波状出血は、数分単位でだあっと出たり止まったりするものであるが、本件の場合、そのような出血ではなく、錦町産婦人科医院における出血のスピードは、分娩の影響と子宮収縮不良の可能性がある九月三日午前九時三五分までの出血と多量出血により出血傾向をきたした同日午後七時以降の出血を除けば、ほぼ一定して一時間あたり一一〇ミリリットルないし一三〇ミリリットルであるから、弛緩出血のときの波状出血とはいえないことが認められる。また、②については、神保鑑定によると、膣動脈損傷の部位が膣壁裂傷部位に極めて近接していれば、膣口から新鮮血が出てくることが考えられるが、膣壁裂傷部位とずれていて、一旦後腹膜腔に溜まった血液が膣壁裂傷部位から膣口へ流出してきた場合には暗血色となり、しかも子宮マッサージによって出てくることが認められるから、弛緩出血のみが存在した根拠とはなり得ない。さらに、③については、分娩時に生じた膣壁裂傷部位が子宮口後唇にさえぎられて、通常の膣鏡検索では最も見にくい所であることは前記認定のとおりであり、これを看過していたのであるから、やはり弛緩出血のみであることの根拠とはなり得ない。

ただし、神保鑑定によると、当初の六時間において間歇的子宮収縮不良に基づく少量の子宮出血の存在を否定する根拠もなく、子宮収縮不良の有無が立会医師にしか判断できないことを考慮して、分娩後六時間までの弛緩出血の併存を認めているから、九月三日午後一時ころまでは、膣動脈損傷及び膣壁裂傷に起因する出血と、弛緩出血が併存していたものと認めるのが相当である。

3  動脈の損傷部位について

たしかに、集中治療部診療録(1)(〈書証番号略〉)No.13及び14には被告林が指摘するような記載があり、血管造影検査の写真(〈書証番号略〉)からは、子宮動脈からの出血なのか、膣動脈からの出血なのかは断定できないようである(神保鑑定)。

しかし、①子宮動脈の結紮ミスであれば大量の造影剤の流出することが予想されるが、本件の写真では極めて微量の造影剤が流出しているものと認められることに照らせば、非常に細い血管の損傷、すなわち膣動脈の損傷である可能性の方が高いと考えられること、②もし、山大附属病院における第一回手術の際の子宮動脈の集束結紮の滑脱等によるものであれば、この時点から出血量が急激に増加すると考えられるが、錦町産婦人科医院にいる時から山大附属病院において第三回手術を受けるまでの間における優子の出血のスピードがほぼ一定であること(以上、神保鑑定)、③〈書証番号略〉の右記載については、造影検査写真を見た医師の判断であり、その造影検査の写真が非常に判断しにくいものであるならば、この医師の判断も断定的なものとはいえないものと考えられることの諸点に照らせば、優子の出血原因は、山大附属病院における第一回手術の際に生じたものとは認められず、膣動脈損傷によるものであると認めるのが相当である。

4  膣動脈損傷の発生時期

優子は、昭和六二年九月三日午前六時三〇分ころ、子宮口が約六センチに開大していたが、被告林が、優子に対し、同六時四三分ころ陣痛促進剤を投与し、同六時五五分ころ子宮口が全開大(約一〇センチ)となり、同七時〇八分ころ女児を娩出していることは、前記認定のとおりである。そして、一般的には、子宮口が六センチから全開大になるには約二時間(三〇分で一センチ)かかること(証人宮内)に照らせば、優子の分娩について、陣痛促進剤が極めて大きな影響を与え、過強陣痛を起こしたと認めるのが相当である(神保鑑定)。そして、神保鑑定によれば、陣痛促進剤の投与によって、今まで産道が形成されたことのない初産婦の産道を、約二〇分の間に一気に児頭が通過したことにより、産道損傷ないしその付近の組織の損傷が発生する可能性は極めて高いものと認めることができ、前記認定のとおり、出血のスピードが錦町産婦人科医院にいる時からほとんど変わっていないことを考慮すると、優子の膣動脈損傷は、出産の際に生じたものであると認めるのが相当である。そして、損傷部位が膣動脈の末端ないしは血管の分枝部であったために、出血のスピードが非常に遅かったものと認めるのが相当である(神保鑑定)。

四被告らの責任について

1  被告林の過失について

(一) 陣痛促進剤の投与について

(1) プロスタルモンについて

子宮収縮剤であるプロスタグランジンの商品名であり、正確にはプロスタグランジンF2αである。子宮の入口が硬い場合、軟らかくする作用がある(〈書証番号略〉、証人宮内、被告林)。

(2) シントシノンについて

子宮収縮剤であるオキシトシンの商品名である。子宮を収縮させるもので、陣痛を促進する作用があるが、頚管軟化作用はない(〈書証番号略〉、被告林)。

(3) 同時併用について

神保鑑定によれば、いわゆる関東系の大学ではプロスタルモンとシントシノンの同時併用を非としているが、いわゆる関西系の大学では同時併用を是としていることが認められ、これを是認する文献(〈書証番号略〉)も存在する。したがって、プロスタルモンとシントシノンの同時併用の是非は、いわば学説上の争いであって、同時に併用するか否かは、医師の裁量の範囲内に属するものと認められる。したがって、被告林が、優子に対し、プロスタルモンとシントシノンを同時に併用したことをもって、陣痛促進剤投与の方法に過失があったとはいうことができない。

(4) 陣痛促進剤投与の適応について

被告林は、陣痛促進剤を投与する直前の優子の陣痛はほとんど停止しており微弱陣痛であったし、優子の頚管に浮腫があり、硬かったことから、陣痛促進剤を投与した旨主張し、これに沿う供述をしている。

しかしながら、入院時の優子の頚管の硬さについては、原始記録ともいうべき被告林の作成したカルテ(〈書証番号略〉)には「ソフト」と記載され、浮腫の存在については何ら記載がないのであるから、優子の頚管は軟らかく、浮腫は存在しなかったものと認められ、この点についての被告林の供述は信用できない。また、前記認定事実によると、優子の陣痛は、初産婦であるにもかかわらず、陣痛開始時刻の午前三時ころから約三時間三〇分後の午前六時三〇分ころに子宮口が六センチ開大になっていることからすると、極めて正常な陣痛であることが認められ、神保鑑定によれば、このような正常な陣痛の場合、一時的に陣痛が弱くなることは日常茶飯事であって、分娩の進行が停止しているとはいえないことが認められる。したがって、陣痛促進剤を投与した午前六時四三分ころの時点では、優子には陣痛促進剤投与の適応はなかったものと認めるのが相当である。

そして、証拠(〈書証番号略〉、証人宮内、神保鑑定)を総合すると、正常な陣痛経過をたどり、陣痛促進剤投与の適応がない初産婦に対して、陣痛促進剤を投与すれば、過強陣痛が起こり、今まで産道形成されたことのない初産婦の産道を、短時間に一気に児頭が通過することによって、子宮破裂や産道損傷(頚管裂傷、膣壁裂傷等)等が発生することが認められるので、被告林は、産婦人科医師として、優子に陣痛促進剤投与の適応があるかどうか慎重に判断して投与すべき注意義務があったのに、この注意義務に違反して、陣痛促進剤投与の適応がない優子に対し、右適応があるものと誤信して陣痛促進剤を投与した過失があると認めるのが相当である。

なお、被告林は、陣痛促進剤の使用によって膣動脈損傷が発生することは通常予測できないから、被告林には過失がないと主張するので検討する。確かに、分娩の際に膣動脈損傷が発生すること自体が極めて稀である(〈書証番号略〉、証人宮内、神保鑑定、弁論の全趣旨)としても、陣痛促進剤投与の適応がないのに、誤ってこれを投与することによって、前記のような子宮破裂や産道損傷(膣壁裂傷等)等の発生を予見することができ、膣壁裂傷が生じることによって膣動脈の損傷が生じることがある(神保鑑定)ことからすると、陣痛促進剤の投与にあたって膣動脈損傷の危険を予見できなかったとはいえない。

また、仮に、陣痛促進剤の投与に当たって膣動脈自体の損傷を予見できなかったとしても、子宮破裂や産道損傷等の発生を予見できるのであるから、これらの損傷等の発生を避けるため、陣痛促進剤の投与を止めておけば、優子の膣動脈損傷の発生を回避できたものというべきであるから、少なくとも、被告林には、陣痛促進剤投与の適応がない優子に対し、陣痛促進剤を投与しないことによって産道損傷等の結果発生を回避すべき注意義務があったのに、これを怠って優子に陣痛促進剤を投与したことによって、優子の膣動脈損傷の結果を発生させたとの過失があるものということができる。

そして、前記認定の事実によると、被告林の右過失によって、優子の膣動脈損傷が発生したのであるから、被告林の右過失と優子の膣動脈損傷との間には因果関係が認められる。

(二) 出血原因の精査を怠ったか否かについて

被告林が優子の膣動脈損傷も膣壁裂傷も発見できなかったことは、前記認定のとおりである。

しかしながら、神保鑑定によれば、膣壁裂傷を看過した理由は、優子の膣壁裂傷部位が膣の奥深い箇所であったこと、膣裂創が小さかったこと、出血のスピードが一分当たり約二ミリリットルと極めて遅かったため、膣壁裂傷の存在を疑って精査することが難しかったことによるものであって、これを医師一人で発見することはかなり難しいことが認められるし、膣動脈損傷を発見できなかった理由も、膣壁裂傷の部位と膣動脈損傷の部位がずれていたこと、出血のスピードが極めて遅かったために動脈損傷であるとは予想できなかったことによるものと認められる。したがって、このような状況の下で、前記認定のとおり、子宮内用手検索を数回実施したにもかかわらず、優子の膣壁裂傷や膣動脈損傷を発見できなかったとしても、被告林には、医師としての過失が存したとまではいえない。

したがって、この点においては、被告林の過失を認めることはできない。

(三) 説明義務違反について

原告らは、被告林が、山大附属病院に転送した際、出血原因と重要な関係を有する異常な分娩経過について、山大附属病院の医師に説明する義務があったのに、これを怠り、正常分娩と説明し、出血原因につき誤った診断結果である弛緩出血と説明したことによって、山大附属病院の医師が産道を精査することなく経過観察してしまったとして、被告林には説明義務違反の過失がある旨主張する。

ところで、患者を転医させる場合における医師の負うべき説明義務の内容として、患者について緊急を要し、かつ、重大な疾患発生のおそれがあり、その予見が可能である場合はともかく、そうでない限り、当該担当医師は、転送先の医師に対し、自己の認識し得た診断ないしは患者の一般状態を説明すれば足りるものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前記認定事実によると、被告林は、山大附属病院へ優子を転送するに際し、被告林の行った診断内容並びに優子の全身状態及び優子に対して執った処置を文書及び口頭で山大附属病院の森岡医師らに伝えていること、神保鑑定によれば、被告林が優子の膣壁裂傷を発見できず、産道損傷の可能性を否定してしまったため、優子の出血原因について弛緩出血であると判断したとしてもやむを得ないことが認められ、しかも前記(二)で認定・説示したごとく、被告林が優子の膣壁裂傷及び膣動脈損傷を看過したことをもって過失があったとはいえないことを総合考慮すれば、転送先である山大附属病院の医師に対し、弛緩出血であると説明し、分娩経過についての具体的説明をしなかったとしても、医師としての注意義務に違反するとまではいえないものと解するのが相当である。

しかも、山大附属病院の森岡医師らが、当初経過観察することにした理由は、後記2(一)記載のとおりであって、被告林から患者の分娩経過についての説明がなかったことによるものとまではいえないから、この点においても、原告らの主張は採用することができない。

2  山大附属病院医師の過失について

(一) 初診時における森岡医師の処置について

優子が山大附属病院に搬送された時点において、山大附属病院の森岡医師らが診察したところ、優子の状態は、子宮の収縮が良好で、子宮底の高さはおおむね臍の高さであり、腹部膨満もなく、下腹部に圧痛(子宮破裂の所見)もなく、膣内に凝血塊を認めるも新鮮な出血はなく、超音波検査でも子宮腔内に胎盤の遺残や凝血塊は認められなかったので、森岡医師らは、優子に対し、新鮮血を輸血し、DICの予防薬、抗生物質等を投与し、膣内にガーゼを挿入して経過観察を行ったことは、前記認定の通りである。

したがって、子宮の収縮が良好で弛緩出血を積極的に肯定する所見もなく、子宮破裂を疑う所見もない上、膣動脈損傷が発生することも極めて稀な状況と認識されていたことから、優子の全身循環動態の改善、DICの予防、感染の予防を行うとともに、出血量の監視を十分に行うことにしたことが認められ(証人宮内)、その処置は通常の処置であることが認められる(神保鑑定)から、森岡医師の右処置について、何ら過失を認めることはできない。

なお、原告らは、①森岡医師は、被告林の弛緩出血との診断の誤りを疑い、被告林に出産経過や出血状況等について詳細な説明を求めるべきであった、②森岡医師は、血管造影検査をすべきであったとも主張するようであるので、検討する。

まず、右①の点について検討するに、森岡医師らは、被告林から紹介状の提出を受け、口頭説明を受けながら優子の診察を行って自らの判断に立って治療を行っていることは前記認定のとおりであり、また、被告林の供述からすると、当時、優子に対し、陣痛促進剤を投与したことに何ら疑問を感じていないし、また、その出産に何ら異常があったとは考えていなかったことが認められることからすると、仮に森岡医師らが被告林に出産の経過などを聞いたとしても、原告らが主張するような情報が得られたとは即断できない。そうだとすると、原告ら主張のように、森岡医師らが被告林に更なる説明を求めるべきであったとはいい難いので、右①の点は採用できない。

次に、右②の点について検討するに、前記認定事実によると、昭和六二年当時、分娩後の出血源検索のために血管造影検査をすることは一般的でなかったことが認められるから、優子が錦町産婦人科医院から山大附属病院へ転送された段階で森岡医師らが血管造影検査をしなかったとしても、何ら責められるべきところはない。

(二) 第一回手術の際の宮内医師の処置について

宮内医師が、第一回手術の際、子宮破裂がないこと及び後腹膜に大量の血腫が存在することを確認していたことは、前記認定のとおりである。

しかしながら、前記認定事実と証拠(証人宮内、神保鑑定)によれば、当時、分娩によって膣動脈損傷が発生することは極めて稀であると認識されていたうえ、出血のスピードが極めて遅くて動脈損傷が生じているとは予測できなかったことから、宮内医師において、子宮破裂がないこと及び後腹膜に大量の血腫が存在することを認識していたにもかかわらず、膣動脈からの出血を疑わなかったのも無理からぬところであり、膣壁裂傷からの出血と判断して膣壁裂傷のZ字縫合を行ったことは、相当な処置であると認めるのが相当である。

また、原告らは、宮内医師はこの段階で血管造影検査を行って出血源を確認すべきであったとも主張するので検討するに、前記認定事実によると、昭和六二年当時、分娩後の出血源検索のために血管造影検査をすることは一般的でなかったことが認められるから、宮内医師が第一回手術の段階で血管造影検査をしなかったとしても、これをもって過失があったとはいうことができない。

(三) 藤野医師の第二回手術の処置について

原告は、藤野医師が、四日午前六時三〇分ころ、新たな膣壁裂傷を発見した時、第一回手術で裂傷部位を縫合しているにもかかわらず出血が継続して新たな膣壁裂傷が生じたものと考えて、出血部位を十分に確認すべきであったのに、これを怠り、漫然と膣壁裂傷部位を縫合する手術を行ったにとどまったため、第三回手術までの間出血を継続させ、優子の死亡の結果を招いたものである旨主張する。

しかしながら、前記認定事実と神保鑑定によれば、分娩の際に膣動脈損傷が発生することは極めて稀である上に、出血のスピードが極めて遅かったことから、膣動脈損傷が存在すると予測しなかったことはやむを得なかったものと認められ、この点においても、藤野医師の過失を認めることはできない。

また、原告らは、藤野医師はこの段階で血管造影検査を行って出血源を確認し、抜本的な止血手術をすべきであったとも主張するので検討するに、前記認定事実によると、昭和六二年当時、分娩後の出血源検索のために血管造影検査をすることは一般的でなかったことが認められるから、藤野医師が第二回手術の段階で血管造影検査をしなかったとしても、これをもって過失があったとはいうことができない。

(四) Tチューブドレーンの使用について

原告は、第三回手術の際、優子の後腹膜には血腫があり、二度にわたる手術操作による感染の危険も極めて高く、それまでの大量出血による抵抗力の低下に伴い、後腹膜に感染を生じた場合には、ドレーンにより膿を効果的に排出しない限り、敗血症の発症を招く危険が極めて高かったのに、宮内医師らは、圧迫や屈曲に弱く、また、狭所部位からの排出も困難なTチューブをドレーンとして使用したため、効果的に排膿することができず、大量出血による抵抗力の低下と相まって敗血症の発症を招いたものである旨主張する。

確かに、神保鑑定によれば、優子の出血がそれまでに一万ミリリットル以上に達しているし、何回かの手術操作が加えられていることから、感染は必至であると予想される状態であったのであるから、予防的な処置として用いられるTチューブを使用することなく、口径約一センチの太さの固い管を二、三本使用しないと、有効な機能を果たさなかったのではないかとの疑問が呈されているが、他方、神保鑑定は、その場面に遭遇すれば、医師のうち半分はTチューブをドレーンとして使用するのであろうし、本件の場合諸条件が重なって一番悪い結果となったが、Tチューブを設置する段階ではそれを選択することもあり得たともいうのである。そして、証拠(〈書証番号略〉)によると、ドレーンの選択に当たっては、ドレーンを設置しようとする部位の広さ、深さ、組織の硬さ、液体の貯留速度、さらに対外へ至るまでの経路などを十分把握し、その状況にあったものを選択することが必要であって、不必要に太いドレーンを置く必要はないとされ、他方、ドレーンの材質、形状の選択、留置期間等については、症例との間で各医師によって意見が分かれそのための研究を開示する文献も出ていることを認めることができ、右の事実からすると、ドレーンを設置するに当たっては、その材質、形状の選択を含め、担当医師の裁量が認められるものということができる。

そこで、優子にTチューブを設置した宮内医師の裁量に違法があったかを検討する。

証拠(〈書証番号略〉、証人宮内、神保鑑定、弁論の全趣旨)によると、宮内医師がTチューブをドレーンとして優子の膣断端部の上に設置した目的は、出血の監視、手術操作に伴う滲出液の対外への誘導及び感染予防のためであり、その措置は当を得たものと評価されること、第一回手術時点において、出血した血液は、子宮の周囲のみならず膀胱の周囲骨盤岬にまで認められ、これらの血液浸潤部位はほぼ左右対称であったこと、第三回手術時点において、出血した血液は、骨盤の右側に強く認められたが、左側にも依然としてあったこと、宮内医師は、Tチューブを使用するに際し、そのまま使用するのではなく上方を切除して設置し、膣断端部や膀胱の周囲からだけでなく、骨盤の両側からも血液や滲出液を除去できるようにしたこと、宮内医師は、Tチューブを設置した後抜去するまでの間、感染予防のための抗生物質を投与するとともに外陰部の創傷の消毒及び洗浄を継続して行ったこと、設置したTチューブからは、連日わずかながらも排液が認められたこと、以上の事実を認めることができる。

右の事実と本件の場合、Tチューブを設置する段階ではそれを選択することもあり得たとする神保鑑定を総合すると、宮内医師がTチューブを使用したことは、医師としての裁量の範囲を逸脱したものとまではいえないから、この点においても、宮内医師の過失を認めることはできない。

(五) 以上のとおり、山大附属病院の医師らの過失はいずれも認めることができないから、被告国の使用者責任を認めることはできない。

3  以上の次第で、被告国の責任を認めることはできないが、被告林には、陣痛促進剤投与についての過失が認められる。

そして、被告林の陣痛促進剤投与という過失行為によって優子の膣動脈損傷が発生し、何度か治療がなされたが、その損傷部位が極めて発見しにくく、かつ、治療しにくい部位であったこと等により、それらの治療が功を奏することなく、敗血症が発症し、死亡に至ったものというべきであるから、被告林は、民法七〇九条に基づき、原告らが被った後記損害を賠償すべき責任を負うものと認める。

五損害(慰謝料) 各二五〇万円

前記認定事実と証拠(原告幸年、原告節子、弁論の全趣旨)によれば、原告らは、優子の両親として、優子の死亡により精神的苦痛を被ったことは明らかである。しかしながら、被告林の過失の態様、優子が死亡するに至るまでに、被告林及び山大附属病院において、優子を救命するため懸命の治療行為が継続的になされたが、出血原因が稀に発生する膣動脈損傷であり、極めて発見困難な部位にあったことから、最も悪い結果に終わらざるを得なかったこと、優子が既に婚姻して独立の家庭生活を営んでいたこと等、諸般の事情を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰謝料は、各二五〇万円が相当であると認める。

六弁護士費用 各二五万円

弁論の全趣旨によると、原告らが本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、相当額の費用及び報酬の支払を約束していることを認めることができるところ、本件事案の性質、審理の経過及び認容額等を考慮すると、原告らが本件医療事故と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、各二五万円をもって相当と認める。

第四結論

以上のとおりであるから、本訴請求は、被告林に対し、前記第三の五及び六の合計各二七五万円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和六二年一一月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。

(裁判長裁判官松山恒昭 裁判官内藤紘二 裁判官藤田昌宏)

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